明日、10日は、成人の日です。この成人の日は、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ために、昭和23年に定められた祝日だそうです。以前は1月15日の小正月(こしょうがつ)に、元服の儀が行われていたために、成人の日が定められたようです。本日は、この成人の日に関連し、伝道者の書12章1節の「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」の御言葉から、学ばせて頂くこととします。
第一 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ
この御言葉が記されている伝道者の書の著者は、イスラエルの王、ソロモンと言われています。ソロモン王は、紀元前990年頃にダビデ王の子として生まれ、20歳のころ、イスラエルの王に即位しました。その後、40年の間、イスラエルを治めました。ソロモン王は、イスラエルを最も栄えさせた王で、その秀でた知恵と貿易力により、イスラエルに平和と繁栄をもたらせました。イスラエルを治めた前半の20年間は、神様と父ダビデの間に結ばれた約束を守るため、ソロモン王は神殿と宮殿の建設を行いました。後半の20年間、ソロモン王は、富と権力に溺れ、周辺諸国との政略結婚のために多くの妻と側室を抱え、彼女らが信仰する偶像を受け入れ、結果的に神様から離れた人生を送りました。
この伝道者の書は、ソロモン王の晩年に、自らの人生をふり返って記したものと言われています。
伝道者の書では、12章8節に記されている「空」(くう)と言う言葉が38回も繰り返して使われています。「空」とは、虚しい、空虚、意味がないという意味を持ちます。すなわち、ソロモン王は、晩年、人生を振り返ったとき、彼の人生そのものが虚しいものであったと語っています。彼は、快楽、労苦、富、栄誉を誰よりも多く経験しましたが、その全てが虚しいものであったと言うのです。
そして、ソロモン王は、12章1節「若い日に、あなたの創造主を覚えよ」と読者に語りかけます。それは、創造主である神様から離れたままの状態では、人生が満たされるようと歩んでも虚しいこと、故に、歳をとって残された時間がないと言う前に、私たちの生きる意味を与えて下さる創造主を知るべきであると言っています。
私が信仰生活を始めた後、自分の罪に苦しみ、その苦しみから逃れようとして、教会から離れたときがあります。その頃は、週末になれば、友達と遊び飽かしたことがありますが、礼拝や賛美の喜びに較べれば、とても虚しくつまらないと感じたことが多くありました。
私たちは、ソロモン王と同じように、神様から離れていた頃の生活がいかに虚しいものであるかを知っています。それは、私たちはイエス様と出会い、イエス様が、私たちの人生を意味あるものに変えてくださったからです。
故に、私たちも、創造主を知らない人々に、ソロモン王のように、「あなたの創造主を覚え」て下さいと語りかけることができるのではないでしょうか。
もし、まだ、創造主を知らないのであれば、あなたの人生を意味のあるものにして下さる創造主がおられることを覚えて下さい。
第二 神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
ソロモン王は、12章13節で、このように結びの言葉を述べています。
この言葉は、申命記10:12-13に記されている、
「イスラエルよ。今、あなたの神、【主】が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、【主】を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、【主】に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる【主】の命令と主のおきてとを守ること」を指し示しており、
聖書の第一の戒め(マタイ22:37)でもあります。
神様を恐れ、神様の命令を守るとはどういうことなのでしょうか。
イエス様のひとつの譬えから学びたいと思います。マタイの福音書20章1-16節をお開きください。(みんなで、一緒に読んでいただく)
20:1 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
20:2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
20:3 それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。
20:4 そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』
20:5 彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。
20:6 また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』
20:7 彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』
20:8 こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。』
20:9 そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。
20:10 最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。
20:11 そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、
20:12 言った。『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』
20:13 しかし、彼はそのひとりに答えて言った。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。
20:14 自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。
20:15 自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。』
20:16 このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」
この譬えは、ぶどう園の主人が、ぶどうの収獲の為、労務者を雇うために市場に出かける話です。イスラエルのぶどうの収穫期は、猫の手が必要なほどに忙しい時期だそうです。この譬えにある主人も、労務者を雇うために日に何度も市場に出かけて行きました。朝早く、そして午前9時、正午、午後3時、更に5時になって労務者を雇いに出かけました。そして、午後6時になり、主人は労務者ひとりひとりに賃金1デナリ(おおよそ1万円)を支払いました。朝早く来た人たちは、多くもらえると期待したのですが、同じ金額でした。1時間しか働かない人と一日中働いた人が同じ賃金なんて冗談ではありません。朝早く来た人たちは、主人に文句を言ったのです。
『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。』と。
しかし、主人は言いました。『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。」
勧士 高橋堅治