悪魔に機会を与えない エペソ4:26-32

神の武具

2024年になって、2週間が経ちました。新しい年は、いろいろな抱負や目標を持つことでしょう。

しかし、元旦には、大変に悲しいニュースがありました。能登半島地震です。連日、被災地の大変な状況を知ると胸が痛みます。一日も早い災害からの復興をお祈りします。

教会では、世界を造られた神様が私たちをとても愛していておられると、私たちは聞きます。ところが、地震や戦争などの悲惨な出来事、不安なニュースを耳にするとき、私たちは、本当に神様が存在し、私たちを愛しておられることに疑問を感じてしまいます。まして、聖書にある、「いつも喜んでいなさい」(Ⅰテサ5:16)、「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」(Ⅰヨハネ4:18)という言葉も、ただの格言のように思われるのではないでしょうか。これだけ、不安や恐れのニュースに満ちた社会では、もはや、恐れなしに生きていくことしかできないように感じてしまいます。

1.悪魔に機会を与えない

普段、私たちは悪魔(別名:サタン)という存在を意識したことがありません。ところが、聖書には悪魔が私たちに様々な影響を与えていると言います。たとえば、イエス様の公生涯で、最初に悪魔の試みを受けられました。それから、私たちが聖書の言葉を聞いても信じないことを、イエス様は「後で悪魔が来て、その心からみことばを取り去ってしまう」(ルカ8:12)と教えられました。ペテロは、私たちに「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(Ⅰペテロ5:8)と警告しています。これらのことを通して、聖書は、私たちの実生活において、常に悪魔が働いているというのです。

エペソ4:26,27には、

怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。

悪魔に機会を与えないようにしなさい。

と書かれております。このことは、ずっと、怒っていると、罪を犯のだというのです。それは、怒りの感情が、悪魔に利用されるからです。
悪魔が、どのように私たちの感情を利用するのか、創世記2:16-17,3:1-8から学びます。

2:16 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

2:17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

3:1 さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。

3:2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。

3:3 しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」

3:4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。

3:5 それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」

3:6 そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

3:7 こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。

3:8 そよ風の吹くころ、彼らは、神である【主】が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。

最初の人アダムに、神様はこんなことを命じました。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」それから、神様は、アダムのために助け手エバをつくりました。悪魔である蛇は、神様から命令を受けたアダムではなく、エバに話しかけました。

悪魔:「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」

悪魔は、「食べてはならない」と言い換えた上、エバに神様を酷いお方のように言っています。

エバ:「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」

エバは、神様が言った「善悪の知識の木」を、「園の中央の木」と言いました。彼女は、「触れてもいけない」と、言葉を足しました。神様が、食べたら「必ず死ぬ」と言ったのを、「死ぬといけないから」と不確かな意味に替えました。悪魔は、エバの答えを聞き、彼女は神様の言葉を十分に理解していないことを知りました。

悪魔:「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」

悪魔は、エバに「決して死なない」と嘘をつきました。そして、「神のようになる」と誘惑したのです。そして、「神は知っているのです」と言って、神様が意地悪で、冷たい方と伝えています。

エバは、悪魔の言葉を信じて、禁じられた実を食べてしまいました。悪魔の言う通り、神様のように、善悪を知ることができるようになりましたが、同時に、神様を恐ろしい方と思うようになりました。本当は、神様に愛されているのに、彼らは、神様から隠れる存在になったのです。

アダムとエバの神様に対するイメージはどうなったのでしょうか。ちょうど、「あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、散らさなかったところからかき集める、厳しい方」(マタイ25:24)のようだったのではないかと思います。その結果、「神である【主】の御顔を避けて、園の木の間に身を隠」す、神様から離れた罪の状態になりました。これは、神様が恐ろしいという感情から来ているのです。私たちは、幼い頃、神様がいて、罪を罰するから、きまりは守るべきだと教えられたことはないでしょうか。これが、アダムとエバの状態なのです。

私たちは、悪魔が嘘つきだと知らなければなりません。「悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。」(ヨハネ8:44)とあります。だから、神様が「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)と言っているのに、私たちの心に、「おまえは、みじめで、貧しい。神様が愛するはずはない」と語りかける声が聞こえませんか。これは悪魔の嘘の声なのです。

私はある先生から、聖書の学びを受けました。このとき、悪魔に惑わされている人の心の状態を知りました。私たちの問題の根本的な原因は、私たちが信じ込んでいる「偽り」(悪魔の嘘)と、「罪」、「怒り・否定的な感情」にあります。この根本的な原因を解決しなければ、本当に神様の愛を受け止め、喜び続けることができません。そして、この悪魔の嘘を信じているために、神様の真理を受け入れることが出来ません。

2.怒り・否定的な感情を捨て去る

パウロは「無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい」(エペソ4:31)と言っています。悪魔に利用される怒りや否定的な感情(失望、憎い、辛い、苦しい、悲しいなど)を捨て去りなさいというのです。悪魔がエバをだましたときに与えた、「神様は恐ろしい」というのも、否定的感情のひとつです。

「悪意」とは「意地悪」のことで、他人の成功を邪魔することを意味します。私の家では、お正月に「七ならべ」というトランプゲームをよくします。このゲームは、7のカードから始めて、順番に数字が続くカードを出し、一番早く手持ちのカードを全部出した人が勝ちです。また、出せるカードがない時には数回パスできます。ところが、相手を困らせるためにわざとパスする人がいます。これが「悪意」です。トランプゲームの悪意は大きな問題になりませんが、実際の社会では様々な社会問題となります。たとえば、学校や職場での「いじめ」、自爆テロです。これらの行為は、不公平や不満への抗議として行われることが多いですが、自殺、他人を傷つける大きな罪になります。

聖書での悪意の例は、ヨハネの福音書8章の話があります。律法学者とパリサイ人らは、イエス様に悪意をもって、姦淫をした女性を人々の前に連れていき、石打の刑にするかどうかをイエス様に問いただしたのです。イエス様は、彼らの悪意を知って、姦淫の女性を責めずに、ただ、その罪を赦しました。

イエス様は、人々の罪を責めず、赦されるお方です。ルカの福音書19章の取税人のかしらザアカイは、立場を使って、人々からお金をだまし取る悪いことをしていました。しかし、イエス様に出会って、「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」(ルカ19:8)と言いました。イエス様に出会ったとき、人々は自ら自分を改めているのです。それは、イエス様が罪を責めず、赦されるお方だからです。ですから、もし、私たちが、怒り・否定的な感情、恐れ、罪を心に抱いていたら、イエス様のもとに行って、差し出すことを勧めます。これを悔い改めの祈りと言います。悔い改めは、懺悔することではありません。自分の問題を自分で解決しようと頑張るのではなく、イエス様のところに持って行って、差し出すことです。イエス様は、あなたから、それらの問題を引き受け、解放してくださるはずです。そして、この悔い改めの祈りは、いつでも、どこでも、すぐにできます。

次の祈りは、私が学びを通して教えて頂いた方法です。

———–悔い改め(怒り・否定的感情の解放)の祈り—————

主よ、私は○○さんに対して

□□(否定的感情)を抱いています。

なぜなら △△・・・だからです。

主よ、私はあなたの御名によって

○○さんを赦し、祝福します。

主よ、私は今日、○○さんに対して抱いている

すべての□□をあなたにささげます。

———–悔い改め(恐れの解放)の祈り【例】———————-

主よ、私は□□に対して恐れを抱いています。

なぜなら △△・・・だからです。

主よ、私はあなたの御名によって

□□に対する恐れを放棄します。

主よ、私は今日、□□に対して抱いている

すべての恐れをあなたにささげます。

———–悔い改め(罪の解放)の祈り【例】————————-

主よ、私は□□の罪を放棄します。

主よ、赦して下さい。私も自分を赦します。

この祈りの後、頭の中で、怒り、否定的感情、恐れ、罪を袋や箱に入れるのをイメージします。そして、その袋や箱をまとめて、イエス様のところに持って行くのをイメージするのです。差し出したとき、イエス様が語られた言葉(聖書の御言葉の場合もあります)や、表情を心に留めます。その後に、まだ、心にわだかまりが残っていたら、繰り返して、イエス様に解放していただくのです。

この悔い改めの祈りの効果は絶大です。私に、この学びを教えて下さった牧師先生は、以前、非常に怒りやすく、その怒りの矛先は物にあたっていました。しかし、悔い改めの祈りの後、怒りが起りにくくなり、怒ってもすぐに収まるようになったと証しされていました。私は、半信半疑でしたが、私も、過去でいじめを受けた人を思い起こしたとき、心がとても嫌な気分になっていたのに、この祈りの後には、もうそのような気分になりません。それどころか、その人を祝福するようになりました。

3.神の武具を身につける

互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。エペソ4:32

悔い改めの祈りは、私たちと神様との関係を良くします。それから、様々な否定的感情(失望、恨み、恐れ)をもっていた人々に対して、ひとつひとつを祈って行った後、彼らに対する自分の感情が大きく変わったのです。神様が私を赦してくれたように、私もそれらの人々を受け入れ、赦す気持ちが生まれました。このような心の状態は、神様の愛を素直に受け止めます。そして、神様におまかせしているので、恐れがなくなります。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」(Ⅰヨハネ4:18)空っぽになった心には、「主よ、私のこころをあなたで満たして下さい」と祈り、聖霊をお迎えするのです。

悔い改めの祈りを通して、私たちは、神様の子どもである身分を取り戻すのです。そうしたら、悪魔の誘惑を避けるための予防措置が必要です。それは、神様の武具です。

エペソ6:11-17

6:11 悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。

6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。

6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。

6:14 そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

6:15 足には平和の福音の備えをはきなさい。

6:16 これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。

6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。

神の武具は、私たちが聖書を読み、信仰生活をしていくと、備えられるものです。

  • 真理の帯:聖書やイエス・キリストの知識、
  • 正義の胸当て:キリストによる罪の赦しと義認、
  • 平和の福音の備え:日々の生活で、イエス様中心に生きること、
  • 信仰の盾:悪魔誘惑を退ける信仰(ここで紹介した悔い改めの祈りも含む)、
  • 救いのかぶと:キリストの救いへの希望、
  • 御霊の剣:神様の御言葉(エバが御言葉を正確に知っていたら避けられたかも)

私たちは、悪魔がいつも働いていることを知り、それに対抗することが必要です。既に、悪魔に誘惑されている状態(怒り・否定的な感情、恐れ、罪、偽りの信仰)であれば、まず、神の子の身分に回復して頂くため、イエス様のもとに、それらの問題を持って行き、解放して頂くことが必要です。それが、神の子としての是正措置と言えます。是正措置ができたら、予防措置として、悪魔に対抗する神の武具を身につけます。聖書やキリストの知識、福音を学びます(真理の帯)。そして、自分の功績に頼らず、十字架の贖いによる義を受け取るのです(正義の胸当て)。日々、イエス様中心に歩みます(平和の福音の備え)。そして、何か、問題があったら、悔い改めの祈りを通して、悪魔を退けます(信仰の盾)。私たちは、キリストの救いの希望、永遠のいのちの希望を持ちます(救いのかぶと)。最後に、神様の御言葉を沢山覚え、正しい理解をする(御霊の剣)。このように、信仰生活を歩んでいきましょう。 今年、一年、神様のご愛が皆様と共にありますように。

勧士 高橋堅治