「救われるために」と題して、ヨハネの福音書2:23~3:3までを学びます。この聖書の範囲は章をまたぎますが、この23節から始まる出来事は、3章まで関連があります。
1.多くの人々が信じた
2:23過越の祭りの祝いの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた。
2:24しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。すべての人を知っていたので、
2:25人についてだれの証言も必要とされなかったからである。イエスは、人のうちに何があるかを知っておられたのである。
これまでのヨハネの福音書の内容を説明すると、次のようになります。
- バプテスマのヨハネは、ヨルダン川で洗礼。人々はヨハネこそキリストだと思う。
- パリサイ人が、バプテスマのヨハネは誰かと、調べるために人をヨハネのもとに派遣。
- ヨハネは、キリストであることを否定し、イエス様がキリストと証言。
- 証言を聞いたヨハネの弟子アンデレとピリポは、イエス様に従った。
- 更にペテロとナタナエルも、イエス様をキリストと信じ従った。
- カナの婚礼でイエス様は、水をぶどう酒に変える奇跡を行った。
- イエス様は、過越の祭りで、エルサレムに出かけ、宮きよめ事件を起こした。
- 弟子たちはイエス様の父なる神への熱い想いを知った。
- イエス様は、キリストのしるしであるご自身の十字架の死と復活を話された。
さて、23節を読むと、過越の祭りの間、イエス様はエルサレムで奇跡(しるし)を行われました。そして、多くの人々がイエス様の行われた奇跡をみて、イエス様の名を信じたのです。このとき、恐らく、イエス様は病を癒されたり、歩けない人や目が見えない人などを回復されたのだと思います。
ところが24節では、「しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。」とあります。この「お任せ」という言葉は、23節の「イエスの名を信じた」と同じ、「信じる」という語句です。ですから、イエス様の奇跡を見て、多くの人々がイエス様を信じたが、イエス様自身は、彼らのその信仰を信じなかったというのです。何故でしょうか。
それは、イエス様が、「人のうちに何があるかを知っておられた」からです。イエス様は、実に人間の弱さをご存じでした。
このことは、イエス様をとりまいていた群衆を見るとよくわかります。
イエス様が最後にエルサレムに入城されたとき(マタイ21:8-11)と、ピラトの裁判(マタイ27:23-25)を比べてみましょう。
エルサレムにイエス様が入城したとき、エルサレム中は大騒ぎになりました。群衆は、イエス様のエルサレム入城をとても喜びました。
21:8すると非常に多くの群衆が、自分たちの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って道に敷く者たちもいた。
21:9群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」
21:10こうしてイエスがエルサレムに入られると、都中が大騒ぎになり、「この人はだれなのか」と言った。
21:11群衆は「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。
ところが、この群衆は、数日後に、イエス様を十字架につけろ!と叫んだのです。
27:23ピラトは言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」
27:24ピラトは、語ることが何の役にも立たず、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の目の前で手を洗って言った。「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」
27:25すると、民はみな答えた。「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に。」
群衆心理(集団心理)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。この群衆心理は、普通の個人が大勢の群衆の中にいると、個人個人の気持ちが消えて無くなるという心理状態を言います。群衆心理をまとめた17世紀のフランス心理学者ギュスターヴ・ル・ボンは、フランス革命後の恐怖政治の中、人々の行動をみて、群衆心理が働くことによって、個々の判断力が消滅することを知りました。群衆心理の状態では、人々はあらゆる暗示に従い、物事を極度に信じやすくなるようです。いわゆる、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」が群衆心理です。エルサレムへ入城するイエス様を迎えた群衆、十字架につけろと叫んだ群衆は、群衆心理の影響下にあったと言えます。同様に、23節で、多くの人々がイエス様を信じたのも、群衆心理により、容易に信じたと考えてよいと思います。実に、イエス様は、人間をよく知っていたのです。
過去にビリーグラハム師などの何万人も集まった大きな伝道集会キャンペーンで、一度に多くの人々が信じたと聞きます。もしかすると、群衆心理により、人々が信じやすい状況だったかもしれません。それでも、単に群衆心理であったとも言えないことがあります。過去にリバイバル(信仰復興)が生じ、多くの人々が信仰を持ったという記録があります。しかし、リバイバルには、深い罪の自覚が見られるようです。人々は、一時的に信じたのではなく、魂の救いを求め、彼らのその後の生活全般が改まったと言います。まさに、神様のなさる御業と言えましょう。
2.イエスのもとに来る
3:1さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。
3:2この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
3:3 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ヨハネ3:1に、「さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。」ニコデモが登場します。彼は、パリサイ人の一人でした。パリサイ人は、昔のユダヤ教の一派閥です。当時は、3つの派閥、サドカイ派、エッセネ派、そしてパリサイ派があり、このパリサイ派に属する人々をパリサイ人と呼んでいました。ユダヤ民族は、周辺の強大国に支配されてきました。かつて、バビロン帝国は、彼らの王国を滅ぼし、人々をバビロンに連れて行きました。バビロン帝国がペルシャ帝国に敗れると、ユダヤ民族も解放され、エルサレムに戻りました。彼らは、信仰の回復のため、異教徒との結婚を退け、神殿への捧げものも正しました。しかし、ユダヤの支配階層は、政治経済のため、異教の国々とつながりをもち、宗教的規律に欠いていきました。それに反発し、律法(神の教え)や先祖の習慣を守るべきと主張したのが、パリサイ派です。しかし、時がたつと、彼らも信仰心は廃れ、人々の称賛を求め始めたのです。更に、パリサイ人でない人々を罪人と差別するまでになりました。当時、宗教的な力を持っていました。
ニコデモは、ユダヤを支配したユダヤ議会サンヘドリンの議員であり、パリサイ人としてユダヤ人の霊的指導者でした。伝承では、エルサレムの三大富豪の一人であったようです。すなわち、彼は、地位、名誉、富の全てを持っていた人でした。
このニコデモが、夜、イエス様のもとを訪れました。夜に会いに行ったのは、他の人に知られずに、ひそかに会うためだったと思います。彼の立場を考えると、当時30代の青年イエスを訪れることは、人の目、世間体を気にしたのだと思います。特に、同じパリサイ派の人々に知られることはまずかったのでしょう。
ニコデモはイエス様に言いました「先生(ラビ)。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」
ニコデモは、イエス様を尊敬して語っています。「私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であると知っています」と言いました。当時のユダヤの人々は、神様がキリストを教師として送って下さると信じていたようです。旧約聖書のヨエル書には、次のような言葉があります。
シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、義のわざとして、初めの雨を与え、かつてのように、あなたがたに大雨を降らせ、初めの雨と後の雨を降らせてくださる。 ヨエル2:23
ヘブル語には、「初めの雨」を、「教師」とも訳せます。すなわち、このヨエル書の御言葉を「主は、義のわざとして、教師(初めの雨)を与え」るとも読むことができるのです。ですから、ニコデモも、イエス様を神様から来た教師、キリストではないかと考えていたようです。それは、「神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません」とニコデモは考えたからです。故に、ニコデモは、人目を気にしなら、それでもイエス様の許に行ったのです。ヨハネ3:3のイエス様の答えをみると、彼の関心事は、恐らく、神の国に入ることだったと思います。イエス様はニコデモの心も知っていたはずです。
ニコデモは、地位、富、名誉の全てを持つ人でしたが、彼にとっての関心事は、神の国に入ることだったに違いありません。
18世紀に、偉大なイギリスの宗教家、ジョン・ウェスレーがいました。ウェスレーは、英国オックスフォード大学のときに、以後の全生活を神様に捧げる決心をし、英国国教会の司祭になりました。そして、彼は米国(当時は植民地)ジョージア州に宣教に出向いたのです。彼は、イギリスとジョージアの航海中に、命を脅かすような酷い嵐に遭遇しました。彼は、死を前に非常に恐れ、彼自身には魂の救いの確証がないことを知ったのです。それから、彼は救われるために何をしたらいいのか、色々と考え試すようになったといいます。例えば、キリストのようになることで、救いを得ようとしたとき、彼は挫折しました。キリストのようになろうとすれば、するほど、キリストとは程遠い自分を知ってしまうからです。彼は英国に帰った後、アルダスゲイトという町で行われていた集会に出席し、ある人がルターの「ローマ人への手紙」の序文を読むのを聞いたとき、救われるためには、自分には何もなく、ただ、キリストを信頼し、キリストが自分の罪を取り去り、罪と死の律法から救って下さったという確証が与えられたのです。
ニコデモは、議員(地位)、パリサイ人(霊的指導者)、大富豪(富)を持っていましたが、神の国を求め、イエス様の許に行きました。ジョン・ウェスレーは、英国国教会の司祭でしたが、自分の魂の救いを求め続けました。
さて、私たちは、どうでしょう。魂の救いの確証を既に持っていますか。
イエス様を取りまく群衆は、ただ、イエス様の奇跡を見ていたにすぎません。これは、聖書の話を聞いて信じても、離れると直ぐに霧のように消えてしまうはかないものです。
しかし、ニコデモは、奇跡を見ただけでなく、イエス様の許を訪ねたのです。私たちも、もし、魂の救いの確証がないならば、神様に祈る時こう尋ねてみてはどうでしょうか。
「救われるためには、何をしなければなりませんか」 使徒16:30
神様は、きっと、あなたに答えて下さると信じます。主の祝福がありますように。
勧士 高橋堅治