主の宮きよめ ヨハネ 2:13~22


8月15日、終戦記念日を迎え、戦時を過ごされた方々には、今も刻銘にその頃の状況を思い出されるのではないでしょうか。私は戦争を知らない子供たちの一人であり、私にとってはひとつの歴史に過ぎないのです。親から戦争と戦後直後の悲惨さを耳にしますが、やはり実感はありません。だからといって、今は世界中の情報が直ぐに入ってくる時代でもあります。戦争の悲惨さを知り、私たちを当時の状態に戻そうとする力に対して、はっきりと「ノー」が言える者となりたいと思います。

さて、今日は、イエス様の「宮きよめ」と呼ばれるところから学びたいと思います。イエス様は、当時のユダヤ人指導者たちに、はっきりと「ノー」を言われ、それを実行された方でもあります。どのようなお考えから、当時の人々だけでなく、現代の私たちすら、驚く行動を起こされたのかを見てみましょう。

1.あなたの家を思う熱心(13~17節)

13 さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。

14 そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、

15 細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、

16 鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」

17 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。

ユダヤ人にとって最も大切な祭り、過越の祭りが近くなると、イエス様は首都エルサレムへ行かれました。この過越の祭りは、紀元前1450年頃(今より3450年前)の出来事を記念したお祭りで、現在も3月、4月のある週に、イスラエルで行われています。3450年も前の出来事とは、ユダヤ人の指導者モーセが、ユダヤ人たちをエジプトの奴隷から解放した出来事です。モーセは、エジプトの王パロに奴隷解放を迫り、神様による災い、エジプトの全ての長男たちを殺すという災いにより、ユダヤ人を救い出しました。この過越しは、災いを下すとき、羊の血を家の門や鴨居に塗ると、神様はその家を見逃し、災いを下さなかったからです。

それ以来、ユダヤ人は毎年、この過越の祭りを行ってきました。イエス様の時代も、この祭りは盛大に祝われたようです。この祭りの際にはユダヤ人たちが、エルサレムの神殿に行き、動物の犠牲を捧げるのが習わしでした。記録によると約225万人もの人々が集まったようです。ユダヤ人は当時の世界(ローマ帝国とその周辺)に散らばって生活をしていましたから、祭りのために、犠牲の動物を生きたまま連れ運ぶことは困難でした。そこで、神殿では、人々の便宜のため、犠牲の動物、すなわち、牛、羊、鳩を売っていました。また、外国から来る人々のために、両替所を設けていました。

エルサレムにある神の宮の大きさは、南北446メートル、東西296メートルもあり、神の宮の中心に、神殿(聖所・至聖所)が立っていました。この神殿を取り囲む南と北に広い場所があり、異邦人の庭と呼ばれて、異邦人と呼ばれるユダヤ教以外の人々も神の宮に入ることができました。この広い異邦人の庭で、犠牲の動物が売られ、両替所がありました。

イエス様は、異邦人の庭で動物が売られ、両替が行われていたことを知り、細縄で作った鞭をあらかじめ用意し、動物を追い払い、両替のお金をばらまき、その台をひっくり返しました。鳩を売っている人々に、「それ(鳩)をここから持っていけ。わたしの父の家を商売の家にしてはならない」と言いました。

善光寺では境内に出店がありますが、そこに、突然、ある人が店の売り物を放り投げ、店を破壊したらどうなるでしょうか。営業妨害で直ぐに警察を呼び、大きなニュースになるはずです。そして、その事件を起こした人物が、自分が信頼する人物であったら、私たちは驚き、その人物に対して幻滅を覚えるのではないでしょうか。イエス様はなんでこんなに大きなことを実行したのでしょうか。弟子たちは「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」という聖書の言葉を思い出したようです。これは、詩篇69篇9節に記されたものです。

神様のことを熱心に思うあまり、心は焼け尽きそうです。 リビングバイブル 詩篇69:9

ここにイエス様の想いがあります。イエス様は、父なる神様が侮辱され、軽視されていて、とても我慢できない状況だったのです。

ユダヤ教指導者たちにとって、犠牲の動物や両替の利益は莫大でした。両替だけでも、約22億円の利益が得られたそうです。犠牲の動物の値段も、法外でした。例えば、犠牲の鳩は、通常でも、一羽1万円もしたようですが、神殿内の価格は26万円にもなりました。このように、ユダヤ教指導者たちにとって、祭りはもっとも儲けが出るよい商売でした。また、この動物を買う人々の心にも問題がありました。彼らにとっても、自分自身の成功、名声、自分の信仰の大きさを人々に表す格好なことでした。彼らの成功こそが、神様の祝福と考えていたからでしょう。

わたしの聖なる山に来させて、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のささげ物やいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。  イザヤ 56:7

神様は、神殿を「あらゆる民の祈りの家」と呼びました。故に、神様は人々がご自身の元に来て、祈りと共に捧げられるささげ物、いけにえを喜ばれました。

現在、宗教は金儲けの道具と言われるようになりました。そのような宗教は、人々の心を「ごりやく」と「たたり」で縛り、そのための様々なお布施を要求します。しかし、本当の神様なら、私たちにいのちを与え、すべてを無償で与え尽くされるはずです。そして、このようなお方が、お金を求められることはありません。もし、神様がお金を必要とするなら、それはもはや神様ではないと思います。

私は、昨年春、前職を早期退職しました。それは、数年前にある聖会で、イエス様が幻の内で「私に従って来なさい」と私に語られたためです。それから、私は御言葉を語るために神学校で学び、卒業後、現在、勧士(信徒伝道者)という立場で教会にて月2回の説教をしております。神学校時代に、説教の準備を20時間以上かけるようにと指導されました。実際、私のような新参の者には多くの準備の時間が必要です。私にとって、企業でフルタイムに仕事をしながら、一方で説教者として教会に仕えていくことは不可能なのです。そこで私は個人事業を立ち上げ、週3日ほどの仕事を頂きながら、細々と生計を立てています。私は、私と同じような人を幾人か知っています。このような人によって、地方のキリスト教会が支えられているのだと思います。私や彼らはキリスト教を金儲けの手段にしていません。神様の愛に応えたい心から、犠牲の動物のように、自分の時間を犠牲として捧げているのです。

ですから、私は、教会や伝道のために多くの献金を捧げてほしいとは思いません。そんな負担を感じて神様から遠ざかるのではなく、多くの方が、この世界に、まことの神様がおられることを知って下さり、神様のご愛に感動し、その神様を心に迎えて頂きたいのです。

2.ご自分のからだという神殿

18 すると、ユダヤ人たちがイエスに対して言った。「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか。」

19 イエスは彼らに答えられた。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」

20 そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。」

21 しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった。

22 それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。

イエス様のこのような行為に対して、ユダヤ人たちは不満を言いました。彼らユダヤ人たちは、パリサイ人や律法学者の人々です。バプテスマのヨハネがキリストなのか、キリストは誰か?と調べていた人々です。

彼らの不満は、「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか」ということでした。通常、イエス様が行った行為に対して、「なぜあなたはこんなことをするのか?」と聞くのではないでしょうか。しかし、ユダヤ人たちは「あなたがそんな行為をするなら、それに見合ったしるし(奇跡)を見せなさい」と言ったのです。恐らく、ユダヤ人たちは、イエス様についても詳しく調査していたのでしょう。キリストか、預言者か、またはそれを騙る者か、何らかの人物として注目していたのでしょう。だから、ユダヤ人たちは、「こんなことをするからには、(キリストの)どんなしるしを見せてくれるのか。」と言ったのです。

それに対して、イエス様は、「この神殿を壊してみてください。私はそれを三日で再建します」と答えました。ユダヤ人たちはびっくりしたことでしょう。あきれてものが言えないと思ったことでしょう。「この神殿は建てるのに46年かかった。あなたはそれを三日でよみがえられる(再建する)のか」と。

しかし、この後すぐに、著者ヨハネが補足しています。「しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった」。

イエス様とユダヤ人たちの会話でのズレは、神殿の意味でした。このとき、イエス様やユダヤ人たちはヘブル語を用いて話したと思いますが、ヘブル語で神殿は「家、家族」という意味を持ちます。すなわち、神様がおられるところは、何処なのかということになります。

旧約聖書の時代、神様は、神殿(至聖所)の中に置かれた「契約の箱」の上、「宥めの蓋」に自らを現わすといわれました。

主はモーセに言われた。「あなたの兄アロンに告げよ。垂れ幕の内側の聖所、すなわち箱の上の『宥めの蓋』の前に、時をわきまえずに入ることがないようにせよ。死ぬことのないようにするためである。『宥めの蓋』の上で、わたしは雲の中に現れるからである。

 レビ 16:2

紀元前600年頃、預言者エレミヤは、後の日にその「契約の箱」が姿を消すことを預言しました。その日には、「人々はもう主の『契約の箱』について語ることもなく、それが心に上ることもない」と言っています。

あなたがたが地に増えて多くの子を生むとき、その日には──【主】のことば──人々はもう、【主】の契約の箱について語ることもなく、それが心に上ることもない。彼らがそれを思い出すことも、調べることもなく、それが再び作られることもない。 エレミヤ3:16

神様のことばは、この世界に来られ、栄光を現わされました。

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。 ヨハネ 1:14

神の家(神殿)を建物の神殿ではなく、イエス様が神の家となったのです。そして、イエス様は、ご自身を神の家(神殿)と呼び、この神殿を壊しても(殺されても)、三日でよみがえるという、「キリストのしるし」をあなた方はみることになると言われたのです。

聖書は、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架に死に、三日目に蘇られたことを語っています。これは、ユダヤ人に対する「キリストのしるし」だけでなく、これを聞く私たちにとっても「キリストのしるし」となるのです。あなたは、このお方を信じますか?

このお方を信じる者に対して、聖書は次のように約束しておられます。

キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。

イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。 ローマ 8:10,11

勧士 高橋堅治