今日から「待降節(アドベント)」が始まります!アドベントは、ラテン語の「Adventus(アドベントゥス)」という言葉が元になっており、「キリストの到来」を意味しています。今年のアドベントは12月1日から始まります。
アドベントは、カトリックやプロテスタントなどのキリスト教の教会で大切にされている期間のことです。この期間は、クリスマスに向けてイエス・キリストの誕生を待ち望むための特別な時間です。今では多くのプロテスタント教会でも、この習慣が守られています。
クリスマスでは、イエス・キリストがどのように誕生したのかを、聖書の福音書を通して語られます。しかし、現代では科学技術が進み、特に日本では子供たちに進化論が教えられています。そのため、「この世界を創造した創造主(神様)がいる」と信じる人は少ないようです。そのため、イエスという人物が実在した歴史上の人物であることを認める人が多いですが、イエスが「救い主キリスト」であることを信じない人ばかりなのです。
今日は、まず、創造主の存在について考え、その創造主が聖書を通して示す救い主キリストが、イエス様であることを一緒にみていきましょう。
1.創造主の存在
「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記1:1)
聖書の一番最初のページを開くと、「神が天と地を創造された」と書かれています。この言葉は、「神という存在がこの全宇宙を作った」という意味を持っています。これは日本人にとってとても受け入れられない言葉だと思います。
なぜかというと、2017年にギャラップインターナショナルという団体が行った調査によれば、日本では「神や仏を信じていない」と答えた人が87%もいるからです。これは中国に次いで世界で2番目に高い割合です。日本では冠婚葬祭(結婚式やお葬式など)で宗教儀式を行うことはありますが、普段は神や仏の存在すら信じない人が多いのです。
(参考:PRESIDENT Onlineの記事「なぜ欧米人は『日本人の多くは無神論者に驚くのか』岡本亮輔 2023/9/28」)
子供たちが学校で学ぶ「進化論」が影響を与えていると私は思います。中学3年生の理科の授業では、「進化とは何か」というテーマについて勉強します。この進化論によって、多くの人が「人間は無機質な物質(つまり、命がないもの)から、長い時間をかけて進化してきた」と信じているようです。そのため、「人が死んだら、それでおしまい」と考えるようになるのです。だから、「人生には特別な目的がない。ただ生まれて、何となく生きて、そして死ぬだけ」と思うと、その人生はとてもつまらないものに感じられるのではないでしょうか。まるで、「どうせ無駄だから諦めなさい」と言われているように感じてしまうのです。
日本は「信仰の自由」が認められています。そのため、学校教育では特定の宗教の教えを取り入れないという決まりがあります。そのため、理科の授業では進化論だけが教えられ、「人は何もないものから、進化しんだ」と信じているのです。「進化論」とは違った「創造論」は教えられません。創造論とは、「神が天と地を創造された」という考え方のことです。だから、多くの人はこの「神が天と地を創造された」という話を「科学的ではない」と思っているのです。
近代の科学の発展により、科学者や哲学者の考え方は大きく変化してきました。特に20世紀には、科学史において重要な2つの発見がありました。
1つ目の発見は「ゲノム」についてです。ゲノムとは、生物が持つ遺伝情報のことです。人間の体には、「DNA」という物質の中に遺伝情報が書かれており、この情報は「G」「A」「T」「C」という4種類の記号の組み合わせで構成されています。その数はなんと30億個もあり、これが人間の体の仕組みを決めるプログラムのように働いていることが分かりました。この発見は、生物がどのように成り立っているのかについて、科学者たちに新しい視点を与えました。
2つ目の発見は「ビッグバン理論」です。それまで、宇宙はずっと変わらず存在していると考えられていましたが、20世紀に入って「宇宙は膨張している」ということが分かり、現在では、宇宙は約138億年前に大きな爆発(ビッグバン)によって始まったと考えられています。この理論は、宇宙が不変で永遠に続くという考えを覆しました。
現在では、大きな望遠鏡を使って宇宙の始まりを詳しく調べる研究が続けられており、宇宙の歴史やその起源を探ることが科学の最前線となっています。
これらの「ゲノム」と「ビッグバン理論」という2つの発見は、科学者たちに大きな影響を与え、それまでの宇宙や生命に対する考え方を大きく変えました。
イギリスの哲学者アントニー・フリューは、50年間にわたり無神論を支持する代表的な人物でした。彼は、「C.S.ルイスを論破した」と言われるほどの有名な無神論者でした。しかし、2004年に彼は長年の考えを変え、「神は存在する」とする有神論者になったのです。この出来事は、仲間の無神論者たちに大きな衝撃を与えました。
無神論者の彼は、「神の存在を信じるには確かな根拠が必要だ」と考えていました。そして、フリューが考えを変えたきっかけは、ゲノムとビッグバン理論の発見でした。彼は、2004年、ニューヨーク大学で行われたシンポジウムでこう宣言しました。「私は神の存在を認める」。
まず、フリューは特にDNAの複雑さに驚きました。DNAが生命を生み出すために必要な配列は非常に巧妙で、まるで知性を持つ者による設計のように見えたのです。彼は「科学が示す世界像は、私を無神論から有神論へと導いた」と述べました。科学が明らかにする自然の3つの側面が神の存在を示唆していると考えたのです。その3つの側面とは以下の通りです。
1. 自然が法則に従っていること
2. 生命が物質から発生し、知的に組織化され、目的を持っていること
3. 自然そのものの存在
さらに、無機物からDNAが生成される確率は、ビッグバンからの時間では到底不可能だということも明らかでした。また、光の速度や電子の質量など自然界の基本的な定数がわずかでも異なっていれば、人類が存在する地球のような惑星は形成されなかっただろうとも述べました。これらの「微妙な調整」は偶然ではなく、知的な意図があったとしか思えない、と考えたのです。
彼は、科学の探求に真剣に取り組む人なら、自然の法則が人間をはるかに超えた精神の存在を示していることに気づくだろう、とも述べています。この意見を、他の科学者たちも支持しています。たとえば、ノーベル賞を受賞した生理学者ジョージ・ウォルドは、心が物理的現実の基盤となって生命を生む宇宙を構成したと述べ、物理学者スティーブン・ホーキング博士も、宇宙は合理的な法則に支配されており、「なぜ宇宙は存在するのか」という問いの答えを「神」と定義してもよい、という趣旨の発言をしています。
フリューの考えによれば、創造主の存在を信じることは非科学的ではなく、むしろ現代科学が示唆する事実なのです。そして、創造主が存在するなら、創造物は何らかの目的があって造られたのです。
2.聖書が語る救い主キリスト
この宇宙を作った「創造主」という存在がおられ、人類は特別な目的を持って造られた、とお話をしました。この創造主が人間と関わりを持ち、人間がその出来事を記録したのが「聖書」です。聖書は、創造主が特定の時代や状況に応じて、ある特定の人にご自身を示し、その言葉を伝えました。そのようにして書かれたのが聖書であり、神の導きによって作られたものです。
「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)
そして、イエス様は、この聖書は、イエス様を証ししていると言われました。
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。」(ヨハネ5:39)
旧約聖書というのは、聖書の中でもキリスト以前の時代に書かれた部分を指します。ここには、創造主である神様が神様から離れてしまった人々を助けるための計画が書かれています。その計画は、「救い主」と呼ばれるキリストがこの世界に来ることです。
ここで注目すべきことは、キリストの計画がイエス様の生まれるずっと前から預言によって約束されていたという点です。この約束が実際にイエス様の降誕という形で実現したことからも、私たちは創造主が存在し、その創造主によって計画された救いが、イエス様を通して行われたこと、イエス様こそ救い主キリストであるということも確信できるようになります。
今日は、いのちのことば社が出版した「聖書とは?」という小冊子に載っている、キリストに関する7つの預言をご紹介します。これを通して、神様の約束を一緒にみてみましょう。
(1)キリストの到来
「わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」 創世記3章15節
最初の人間であるアダムとエバが罪を犯したことで、人間は神様から離れることになりました。しかし、神様はそんな人類を見捨てることなく、救い主であるキリストを送ることを約束されたのです。この約束は、人類が誕生したころに語られました。
エバは悪魔の誘惑に負けて、神様が食べることを禁じた善悪の木の実を食べてしまいました。そのため、神様は、エバの子孫と悪魔の間に敵意が生まれると宣言されました。この「エバの子孫」とは、イエス・キリストを指します。キリストは悪魔の「頭を打つ」、つまり、悪魔に完全に勝利するのです。一方で、悪魔はキリストの「かかとを打つ」、つまり、キリストに傷を負わせるのですが、それは決定的な勝利にはならないというのです。
ヘブル人への手紙2章14〜15節には、イエスが血と肉を持たれたのは「死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし」、死の恐怖につながれていた人々を解放するためであったと記されています。
イエス・キリストは人間と同じように血と肉を持ってこの世に来られ、十字架の死を経験されました。この死によって、悪魔の力を打ち破り、人々を「死の恐怖」から解放されたのです。「悪魔をご自分の死によって滅ぼし」という言葉の通り、キリストは悪魔に勝利されました。たしかに、十字架の死という痛みを経験されましたが、キリストは復活によってその痛みを乗り越え、最終的な勝利を収められたのです。
このように、最初の人類の罪の後も、神様はすべてを計画し、人類のために救いの道を備えてくださっていたのです。
(2)諸国の民はユダ部族出身のキリストに従う
創世記49章10節には、こんな御言葉があります。これは、ヤコブが亡くなる前に、自分の子どもたちの将来について預言したものです。時代は紀元前1860年頃のことです。
「王権はユダを離れず、王笏はその足の間を離れない。ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う。」(創世記49:10)
この箇所には、まずユダ部族から王が出ること、そしてその王権がずっと続くことが書かれています。「王笏」というのは、王様の権威を象徴するものです。そして、「ついには彼がシロに来て、諸国の民は彼に従う」とありますが、意味は新共同訳の方が正しくこう書かれています。「ついにはシロが来て、諸国の民は彼に従う」。この「シロ」という言葉は「平和をもたらす者」という意味で、キリストを指しているのです。つまり、ユダ部族からキリストが現れ、そのキリストに多くの国々の人々が従う、という預言です。
実際、今では世界中のたくさんの人がイエス・キリストを信じ、従っています。そして、このイエス・キリストは確かにユダ部族の出身なのです。
(3)ダビデ王の家系に生まれる
これは、紀元前970年頃の出来事について書かれた聖書の話です。サムエル記第二の7章12~13節にはこうあります。
「わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。」(Ⅱサムエル7:12)
これは、ダビデ王が「自分で神殿を建てたい」と考えたとき、預言者ナタンを通して神様がダビデに語られた言葉です。12節では、ダビデの子ども、つまりソロモンが後を継ぐことが予告されています。そして、ソロモンが神殿を建て、その王国が永遠に続くという約束もありました。
実際の歴史では、ダビデの子孫が王を継ぎました。しかし、王国はバビロン捕囚という出来事で一度途切れてしまったかのように見えました。それでも人々は「キリストがダビデの子孫として現れる」と信じ続けました。そして、イエス様はダビデの家系から生まれました。
このことはマタイの福音書1章にも系図として記されています。当時、ユダヤの人々は系図をとても大切にして保管していました。しかし、紀元70年頃のローマ帝国との戦争で、これらの系図がすべて失われてしまったのです。そういう意味からも、イエス様は「ダビデの系図を証明することができる最初で最後のキリスト」と言えるでしょう。
(4)キリストはベツレヘムに生まれる
ミカ書という書物には、キリストがどこで生まれるかが予言されています。その時代は、紀元前720年ごろのことです。ミカ書5章2節には、こんなふうに書かれています:
「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。」(ミカ5:2)
ベツレヘム・エフラテというのは、エルサレムの近くにある、当時は小さな村だったと言われています。でも、そこから「イスラエルを治める者」が生まれると予言されていたのです。この予言は、キリストのことだと人々は信じていました。
イエス様の両親はナザレという村に住んでいましたが、ルカの福音書2章にあるように、ローマ皇帝アウグストゥスが住民登録を命じたので、ヨセフとマリアはベツレヘムに向かい、そこでイエス様を出産しました。この出来事について、キリストを信じていないユダヤ人の学者たちも、イエス様がベツレヘムで生まれたことを認めているようです。
(5)受難の僕
イザヤ書では、紀元前720年ごろに、この預言が語られたと言われています。「僕」と呼ばれる人物は、人々の罪のために苦しみを受けるとされています。
「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」(イザヤ53:5)
イエス様も公の生涯の中で、ご自分の受難について何度も話されていました。
マタイ20:17〜19では、エルサレムに上る途中、イエス様が十二弟子だけを呼んで、人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡され、死刑に定められ、異邦人に引き渡されて十字架につけられるが、三日目によみがえる、と話されました。
イエス様は、ご自分が十字架にかけられる運命にあることを、はっきりと話されていました。このことは、イザヤ書での預言にぴったりと当てはまっています。
(6)来臨の時期
紀元前540年ごろ、ダニエルは、キリストが来る時期を予言しました。
ダニエル書9:25〜26をお読みください。9:25には、エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週、そして六十二週の間に広場と堀が造り直される、とあります。
この「油注がれた者」とは、イエス・キリストのことを指していると考えられています。
また、エルサレムの再建に関しては、ペルシャのアルタクセルクセス王が紀元前445年3月14日に命令を出しました。
キリストが来る時期の計算をしてみます。ダニエル書には次のように記されています:
エルサレムの再建の命令が出てから、「7週(49年)」と「62週(434年)」、合わせて「69週」が経った後に油注がれた者(キリスト)が来る、ということです。ユダヤでの聖書の数字では、1週間を7年と読み替えることが出来ます。
1年を360日とする太陰暦のユダヤ暦で計算すると、次のようになります:
紀元前445年 + 49年(ユダヤ暦)+ 434年(ユダヤ暦) = 紀元31年(西暦31年)
西暦31年は、イエス・キリストが十字架にかけられた年と言われています。
このように、ダニエルの予言と実際の出来事がぴったり合っているのです。
(7)キリストの受難
紀元前480年ごろ、ゼカリヤという人が預言しました。
ゼカリヤ書12章10節には、こう書かれています:
「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、ひとり子を失って嘆くかのように、その者のために嘆き」(ゼカリヤ12:10)
ユダヤ人たちは、キリストが十字架にかけられて脇腹を突き刺されたことを目にしました。この「突き刺した者、わたし」という言葉には、突き刺されたのが「わたし」である神ご自身だと示しています。 ここで言われている「恵みと嘆願の霊」というのは、聖霊のことで、ペンテコステ(聖霊が降った日)を表していると思われます。
ルカによる福音書23章48節に、
「また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、これらの出来事を見て、悲しみのあまり胸をたたきながら帰って行った。」(ルカ23:48)
とあります。 十字架に架けられたイエス様をみて、人々は悲しんだこと、そして、それゆえに聖霊が降ったことがわかります。
ここまでで7つのキリストの預言を紹介してきましたが、みなさんはどう感じましたか?
イエス様が「その聖書は、わたしについて証ししているものです」とおっしゃったことが、よくわかりますね。イエス様が生まれる前に、創造主によって人々が書き残した聖書には、こんなふうに救い主キリストのことが預言されていたのです。そして、この預言に書かれていた通り、ダビデの子孫であり、人々の罪のために命を捧げ、さらに生まれる場所やキリストとして来られる時期までぴったり当てはまる方は、歴史上イエス様以外にはいません。そして、聖書の預言の通りに、この2000年間、多くの国々の人々がこの方に従ってきたのです。
ですから、次のように言えます。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。」(使徒4:12)
創造主が私たちにお与え下さった御子イエス・キリストによる救いを頂きましょう。主の祝福を
聖書の引用は『聖書 新改訳2017』©2017 新日本聖書刊行会 による。