寄留者として生きる

聖書箇所:Ⅰペテロ1:1〜19

説教者:高橋堅治

プロローグ

2025年も、残すところ、今日を含めてあと4日となりました。皆様にとって、この2025年はどのような年だったでしょうか。喜びや平安に満ちた日々もあれば、予期せぬ嵐のような日々もあったのではないでしょうか。

今日、礼拝に参加されている皆様の中にも、深い悲しみを経験し、癒えぬ痛みの中にこの1年を終えようとしている方がおられるかもしれません。

ところが、不思議なことに、この一年を振り返るとき、悲しみと同時に、深い感謝の想いが湧き上がってくるのです。それは、私たちはこの地上ではあくまで「寄留者(旅人)」であり、帰るべき本当の故郷があることを再確認させられるからかもしれません。今日は、この私個人の証しを分かち合わせていただきながら、ペテロの手紙を通して、私たちに与えられている恵みを共に考えてみたいと思います。

1.生ける望み

Ⅰペテロ1章1〜5節をお読みください。要となる一句は次のとおりです。

「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。」(Ⅰペテロ1:3)

ペテロの手紙は、現在のトルコ地方で少数派として生き、信仰ゆえの嘲笑や排斥に遭っていたクリスチャンたちへ送られたものです。ペテロは彼らを「寄留している選ばれた人たち」と呼びました。

「寄留者」とは、旅人であり、外国人です。当時の彼らも実際に故郷を離れた人々だったかもしれませんが、ペテロが伝えたかったのは、すべてのクリスチャンは「天国に国籍を持つ、この世界の外国人である」という事実です。

私たちがイエス様を信じるに至った経緯は、人それぞれです。家族の影響、本との出会い、教会の働き。しかし、その背後には神様の確かな「選び」と「導き」がありました。そして信じた瞬間、私たちの国籍は天へと移されたのです。

では、この地上という「外国」で、天国の民として生きるために必要なものは何でしょうか。 海外旅行に行く際、私たちは必ず「パスポート」を携帯します。それは自分が何者であるかを証明する唯一の手段です。天国の民である私たちのパスポート、それは「聖霊」です。このパスポートは自分で持ち歩くものではなく、神様が私たちの心に直接押してくださった「消えない刻印」です。私たちは日々、「私は聖霊を宿した天国の民なのだ」というこの証明書を、意識して歩む必要があります。

また、私たちは海外にいても、日本人としての振る舞いをしてしまいます。ヨーロッパのホテルでは日本人が泊まった後の部屋があまりに綺麗なので驚かれるという話を聞きます。「立つ鳥跡を濁さず」という習慣が、無意識に現れるのです。 それと同じように、天国の民には天国の民としての「マナー」があります。イエス様が教えられた愛や誠実さは、天国の習慣です。それが努力して守る「規則」ではなく、天国の民としての「自然な振る舞い」として現れるようになること、それが私たちの願いです。

もちろん、日本人が海外で軽蔑されることがあるように、クリスチャンもこの世と相容れず、苦しい思いをすることがあります。当時の小アジアの人々もそうでした。しかし、日本国が自国民の安全を守るように、天国の王である神様は、寄留者である私たちを必ず守り抜いてくださいます。

この地上での生活は、永遠から見れば一時的な滞在にすぎません。私たちには、イエス様が再臨されるときに与えられる「朽ちることのない栄光のからだ」という、確かな資産、つまり「生ける望み」が約束されているのです。

2.試練で試される信仰

Ⅰペテロ1章6〜7節をお読みください。要となる一句は次のとおりです。

「試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。」(Ⅰペテロ1:7)

ペテロは、天国の民として生きるゆえに生じる「試練」について語っています。当時のクリスチャンたちは、周りとの慣習の違いから誤解され、嘲笑や排斥の中にありました。しかしペテロは、その試練は「火で精錬される金よりも価値がある」と断言したのです。

古代の精錬法に「灰吹き法」があります。金に鉛を加え、高温で加熱して不純物を酸化させ、取り除く方法です。金職人がこれを行うのは、金を苦しめるためではなく、不純物を取り除き、純金の持つ本当の輝きを引き出すためです。私たちの信仰も、試練という熱を通されることで、神様が最も喜ばれる「純粋な信仰」へと変えられていくのです。

私自身の話をさせてください。かつて私は、仕事で一定の立場と収入を得ていました。しかしある日、主から「十字架に向かうわたしに従ってきなさい」という幻と招きを受けました。それを境に、不思議なほど仕事が回らなくなり、厳しい日々が続きました。結果、私は心に深い傷を負い、長く休まざるを得なくなりました。それまで積み上げたキャリアも自信も、すべてが崩れ去っていく日々でした。

しかし、ある公園で一人祈っていたとき、聖霊が私の心に語りかけました。「孤独な一人の人に寄り添う者になれ」。これが私の新たな使命だと確信しました。神学校で学び、教会に仕えるために働き方を変えました。しかし現実は甘くありません。メッセージの準備に時間を割けば仕事が減ってしまう。夕方の散歩中、私は「自分はなんと中途半端な状態なのだろう」と苦しくなり、神様に叫びました。その時、主がくださった答えは、たった一言でした。「今は家族に仕えよ」。

それまでの私は、家族に聖書の話を押し付けることが伝道だと思い込んでいました。しかし「生活伝道」を学び、イエス様に倣って「ただ愛する」ことの大切さを知らされました。地位も、収入も、かつてのプライドも、神様は一度すべてを取り除かれました。それは非常に苦しい「精錬の火」でした。しかし、それらが取り除かれたあとに残ったのは、家族を心から愛することができたという、金よりも価値のある「純粋な愛と感謝」だったのです。

私たち寄留者がこの地上の生涯を閉じる時、それは「自分の国に帰る」時です。そこへ至る旅路の中で与えられる試練は、決して無駄な苦しみではありません。

「可愛い子には旅をさせよ」ということわざがあります。本当に大切に思うからこそ、あえて厳しい経験をさせて成長させる親心です。神様も、私たちをこの世界という旅路に送り出し、純粋な信仰を持つ者へと育てようとしておられます。今、試練の中にいる方もおられるでしょう。しかし、その労苦のすべてを主はご存じであり、その火を通り抜けた先には、あなただけの「純金の輝き」が待っているのです。

3.聖なる方に倣う

Ⅰペテロ1章13〜19節をお読みください。要となる一句は次のとおりです。

「むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。」(Ⅰペテロ1:15)

ペテロは13節で、「心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを待ちなさい」と命じています。 この「心を引き締める」という言葉、元の意味を直訳すると「心の腰に帯を締めなさい」となります。かつての人々は長いローブを着て生活していましたが、いざ作業をしたり走ったりする時には、裾をまくり上げて腰の帯に挟み込み、足の動きを自由にしました。日本でも着物で何か作業をする際、裾をまくしたてて帯に縛る姿があります。

これは、「さあ、いつでも行動できるぞ」という覚悟の姿です。いつ主が来られても、あるいはいつ天の故郷に呼ばれてもいいように、私たちは「心の裾」を整えておく必要があるのです。

さて、外国人が日本に帰化する場合、法務省による厳格な審査があります。 日本語能力が小学校3年生以上であるか、日本の社会常識や法律を知っているか、仕事や生活は安定しているか。そして何より「日本人として生きていく覚悟」があるかどうかが問われます。

では、私たちが天国の民として生きるために必要な条件は何でしょうか。 第一単元で触れた通り、国籍そのものは、私たちの能力ではなく、イエス・キリストの尊い「贖いの血」によって買い取られました。これは神様からの無償のギフトです。しかし、その国籍を頂いた私たちが、この地上で寄留者として生きていく中で問われているのは、「聖なる者として生きたい」という「覚悟」ではないでしょうか。

「聖なる」とは、特別な存在になることではなく、「神様のものとして区別される」ということです。イエス様という最高のお手本に倣い、天国の民としての常識やマナーを身につけていく。そのために、神様は私たちをこの地上に「寄留」させ、試練を通して純粋な信仰へと整えておられるのです。

「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ 8:28)

2025年も、私たちは神様の大きな計画の中で生かされてきました。 仕事の試練さえも、神様はすべてを「益」へと変えてくださいました。主は、私たちがこの地上で「聖なる者」へと成長するために、すべての出来事を完璧なタイミングで取り扱ってくださったのです。

2025年の最後の日曜日。まずは、私たちを天国の民として選び、守り抜いてくださった父なる神様に、心からの感謝を捧げましょう。そして、新しい年も「心の腰に帯を締め」、聖なる主と共に、希望を持って歩み出してまいりましょう。

聖書の引用は『聖書 新改訳2017』©2017 新日本聖書刊行会 による。

聖書書名: